花魁体験STUDIO夢工房

京都で人気の花魁体験。
わたしは今日、花魁になります。

京都で花魁体験なら口コミでも人気の
夢工房がおすすめ!
ご友人やご家族、カップルで…
おいらん体験で撮る貴女史上最高写真。

京都6店舗のご予約・お問い合わせ tel.0120-015-225

花魁プランを予約する

アクセス

(10:00~19:00)※最終予約は17:00 ※当日のご予約は
 お電話でご確認くださいませ

【話題の花魁体験】花魁の歴史を探ってみよう

花魁の歴史

花魁という言葉は知っていても、舞妓さんと花魁の違いがわからないという人も少なくありません。
派手な衣装やお化粧をしている、位が高い遊女というイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。
花魁の歴史は知れば知るほど奥が深いものです。
花魁は、18世紀半ば以降から歴史が始まり約340年間続きます。
江戸時代に遊女屋で働く女郎は、太夫と呼ばれていました。
太夫の見習いでついていた少女が「おいらの所の姉さん」と呼んでいたことがきっかけに、花魁と呼ばれるようになったのです。
京都や大坂などでは最も位が高い遊女のことを太夫と呼び、吉原では花魁と呼ぶのが一般的でした。
次第に全国的に太夫は花魁と呼び名が変わっていきます。
花魁のもとになっている太夫は、太夫と呼ばれ始める前に傾城と呼ばれていました。
その理由は、城が傾くほどお金がかかる最高級の遊女だったためです。
さらに、その傾城は、中国の歴史に残る四大美女からきています。
楊貴妃もその中の1人です。
花魁は美女ということだけでなれる遊女ではありません。
一流の遊女であるため、15歳までに舞踊や和歌、お茶やお花、琴、三味線など多くの教養を学ばなければならないのです。
美人な上に、教養を持ち合わせている遊女しか花魁にはなれません。

三大遊廓の中でも日本一の吉原遊廓

江戸時代では傾城屋という遊女屋がありました。
しかし、風紀や治安が悪くなると言われ、徳川幕府は遊女屋を1つのエリアにまとめます。
そのエリアとは、現在の人形町あたりです。
当時は、人形町ではなく葦屋町という区域でした。
葦屋町はイネ科の植物が茂っている僻地だったと言われており、葭原の由来となって江戸で初めての遊郭となったという歴史があります。
1617年になると、明暦の大火という江戸の大半を焼いた大火事が起きたため、浅草方面に移転しました。
吉原遊廓として、京都の島原遊廓と大坂の新町遊廓と並んで三大遊廓と栄えてたのです。
三大遊廓の中でも吉原遊廓は日本一と言われており、敷地は2万坪、1千人の遊女がいたと言われています。
規模が大きかった吉原も遊廓明治期以降には、縮小し昭和32年4月1日に売春防止法によって幕を下ろしました。

コラム一覧